第2章
加害者の顔を見た瞬間、モリの思考は一気に三年前へと引き戻された。
血生臭い雨の夜だけではない。もっと前の記憶——彼女が林田と初めて出会った頃の記憶だ。
「私たち、初めて会った後に何があったか覚えてる?」
モリは不意に、どこか奇妙な懐かしさを帯びた声で尋ねた。
林田はスマホから顔を上げ、その眼差しを和らげる。
「新宿ゴールデン街」
あれは敗訴した夜のことだった。
モリは一人、新宿ゴールデン街にある、わずか六席の小さなバーに座っていた。薄暗い照明の下、彼女はウイスキーを呷り、また呷った。
壁には黄ばんだポスターがびっしりと貼られ、空気はアルコールと煙草の匂いで満ちている。無口な中年のマスターはカウンターの向こうでグラスを拭きながら、やけ酒を煽るこの若い女性弁護士に見て見ぬふりをしていた。
「クソ……クソッ……」
モリはカウンターを強く叩き、悔し涙を目に浮かべた。
あの敗訴は彼女にとってあまりにも大きな打撃だった。あの製薬会社に問題があることも、その薬が無実の患者を死に至らしめたことも分かっていたのに、彼女は負けた。あの冷血漢、林田賢に。
店の暖簾がめくられ、見知った人影が入ってきた。
モリが顔を上げると、そこにいたのは林田だった。
二人の視線が交差し、空気が一瞬で凍り付く。
「本当に、偶然だね」
モリは冷笑を浮かべた。
「勝者様もこんな場末で飲むことがあるの?」
林田は彼女の隣の席に腰を下ろし、マスターに合図を送る。
「ウイスキー、ダブルで」
「今日はあんたに負けたわ。一杯奢ってよ」モリは挑発的な口調で言った。
「君はよくやった。ただ、証拠が不十分だっただけだ」
林田の声は、意外なほど穏やかだった。
モリは彼を睨みつける。
「どうしてあんな企業を弁護するの? 彼らが何人殺したか分かってるの?」
「誰にでも法的弁護を受ける権利はある。違うか?」
林田はグラスを手に取る。
「それが法治社会の基礎だ」
「本気で彼らが無実だと信じてるの?」
モリの声は震えていた。
林田はしばし沈黙し、そして言った。
「法廷では証拠しか信じない」
「じゃあ法廷の外では?」
「法廷の外か……」
林田は彼女を見つめる。その瞳には、言葉にできない感情が宿っていた。
「法廷の外では、仕事の話はやめにしないか?」
アルコールが効き始め、モリの警戒心は少しずつ解けていった。法廷ではあれほど冷酷非情なこの男が、プライベートではどこか……優しい?
「名前は?」
林田が尋ねた。
「モリー」
モリは口走り、すぐに言い間違えたことに気づく。
「ううん、違う……佐倉モリ」
林田は笑った。
「モリー? モリの英語名か?」
「適当につけただけ」
モリは顔を赤らめる。明らかにアルコールのせいだった。
「君に似合っている」
林田の声はとても優しかった。
その夜、二人は多くのことを語り合った。法律について、正義について、この複雑な世界について。深夜、彼らは共にバーを後にし、六本木にある林田の高級マンションへと向かった。
それから、二人の奇妙な関係が始まった——昼間は法廷で不倶戴天の敵として、夜は抱き合って眠る恋人として。
「最も馬鹿げていて、最も美しい時間だった」
今の林田が感慨深く呟く。
モリは頷いた。
「昼間は法廷で罵り合って、夜は……」
「あの時、私があなたを憎んでいたって分かってた?」
モリは問う。
「分かっていた。だが、真相を説明することはできなかった」
林田の眼差しが苦痛に歪む。
「言えないことも、あったんだ」
「何の真相?」
モリは問い詰める。
だが、林田は再び沈黙に陥った。
モリは溜め息をつく。
「もういいわ。どのみち今じゃ墓参りも必要ないし」
「何?」
林田が顔を上げた。
「三年よ。誰も私の墓参りに来ない」
モリの声には拗ねた響きがあった。
「こうして忘れられちゃった」
林田の表情が複雑なものに変わる。
「専門の墓守を雇って、毎月行かせている」
「それは違う!」
モリは声を荒らげた。
「あなた自身はどうして行かないの?」
「俺は……行く勇気がなかった」
「どうして勇気がないの?」
林田は彼女を見つめる。その瞳には、言いようのない苦しみが浮かんでいた。
「君に会うのが怖かったからだ」
「私はあなたの目の前にいるじゃない」
「墓石に刻まれた君に会うのが怖いんだ。それが……君が本当に死んだのだと、俺に思い出させるから」
二人は沈黙に包まれた。
長い時を経て、モリがようやく口を開いた。
「私が一番何を望んでいるか分かる?」
「何だ?」
「あなたに、自ら会いに来てほしいの。墓守を雇うんじゃなくて、あなたに」
林田は彼女を見つめ、心の中で葛藤していた。
その時、再びスマホが通知音を立てた。
やはり、あのニュース……。
今度はモリもより注意深く見た。写真の中の山本翔は刑務所の門の前に立ち、その眼差しは冷たく、口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。
「彼、本当に……出所したの?」
モリの声は震えていた。
林田の眼差しが、瞬時に氷のように冷たくなる。
「いずれこの日が来ることは分かっていた」
「その顔……林田、まさか馬鹿なこと考えてないでしょうね?」
「俺が処理する」
「処理するって何よ?」
モリの声が次第に切迫していく。
「林田、馬鹿な真似はしないで!」
しかし林田は答えず、ただスマホの画面を睨みつけていた。その瞳には、ある種の危険な光が煌めいている。
モリはふと、何か恐ろしいことを察した。止めたい、だがどうすればいいのか分からない。
「私、行かなきゃ」
モリは慌てて立ち上がる。
「あなたにそんな……」
「モリ」
林田が彼女を呼び止めた。
「何?」
「次は……俺が自ら会いに行く」
モリは彼を見つめ、胸中に複雑な感情が渦巻く。何かを言いたかったが、結局何も言えず、ただ一陣のそよ風となってオフィスから消え去った。
多摩霊園、深夜。
月光の下、墓石が立ち並び、そよ風が桜の木を揺らすと、花びらがモリの身に舞い落ちた。
「こんな夜更けに、まだ休まないの?」
背後から声がした。
モリが振り返ると、そこにいたのは高村優希——五年前に死んだもう一人の幽霊で、ここでの彼女の唯一の友人だった。
「大変なことになったの。山本翔が出所した」
モリの声は小さかった。
「山本翔? あんたを殺した男?」
高村優希は眉をひそめる。
「林田のことが心配なの?」
「彼が馬鹿なことをするんじゃないかって」
モリは腕を抱く。
「あの目……あんな目、見たことなかった」
高村優希は少し黙ってから言った。
「モリ、もう手放す時なのかもしれないわ」
「どういう意味?」
「転生してやり直すの。この世のことは、もう私たちが心配することじゃない」
「いや」
モリはきっぱりと首を振る。
「林田には私が必要なの」
「彼は生きていて、あなたは死んでいる。あなたたちの間に……もう未来はないのよ」
モリは遠くに広がる東京の灯りを眺めながら、心に満ちる不安を感じていた。
